留学前夜

 

・・・気持ちは高校3年の時の、自分だけ進路が決まっていない心境、そして杉並区に住んでいる親戚の家に浪人させてもらえることが決まった時の心情に似ている。散々泣きました。

ベッドで、床で、ハンドルを握りながら、ジムのトレッドミルの上で、たまちゃんと戯れながら、。。。。。自分の周りにいる人たちの温かさを日に日に感じるようになりました。
誰も自分のことを応援してくれないと思っていました。職場の方、友達、家族、親戚の方がこんな自分を応援してくれました。ありがとうございました。1人じゃないってことよく分かりました。
「ダメだったら、いやになったらすぐに帰ってこい」・・・・この言葉に自分は何度も涙しました。帰れる場所があることに気づかされました。
いつも当然だと思っていたこの環境にはもう戻れないのです。今、自室で目に涙を浮かべキーボードを叩いています。

また地元を離れ、今度は東京ではなく、海外へ行く自分。無謀かもしれません。でも仕事を辞める覚悟をした以上、もはや背水の陣です。進むしかありません。f:id:yoshifumish:20170407234845j:plain

きっと明日の今頃は飛行機の中で、空の上で泣いているのかと思います。どこに座っているのでしょう。3列シートの真ん中でしょうか?窓側でしょうか?通路側でしょうか?。。。。

なぜ留学を決意したのか。・・・・・支援員をやる前から、ワーキングホリデーのことを考えていたことは事実。TESOLに興味があったことも事実。そして自分だけに学費が掛かりすぎているのも事実。(私立の大学で一人暮らしの学費)。地元の中学校でおかしい英語教員とあって日々イライラしていたことも紛れもない事実でその安定した身分に疑問を感じた公務員という制度に疑問を感じたのも事実。組織だから守るしかないと管理職に、非正規がモノを言うなと言われたのも事実。教員採用試験の不透明さに疑問を抱き、現場の先生の素行を見ていて、モチベーションが続かなかったことも事実。いろんな事実の点がつなぎ合わさって明日を迎えます。これらの事実の点は将来どのようにつながるのか楽しみでもあるし不安でもあります。

逃げと言われるか、甘えと言われるか、そもそも俺一人のためにそんなに神経を研ぎ澄まして考えてくれている人はいない。今まで自分のことを過大評価していた気がする。

1億2000万分の1です。70億人のうちの1人です。自分はちっぽけです。でもちっぽけなりに行動してみます。自分の人生に何かを残して死にたい。人は生まれた時からずーっと死にむかって進んでいることは事実。 今日は親戚のじぃじぃのお見舞いに病院へ行きました。意識が朦朧として、誰が来たのか認識できない状態でした。不謹慎ですけど、先はもう長くなくずっと死を待っているようにも見えました、、、、ニューギニアまで出兵されたそうです。もっといろんな話を聞いておくべきでした。

 


不幸を目指して生きている人間はいないと思います。誰もがみんな幸せを求めているはずです。自分の幸せは自分の心が決めます。留学後にどうなっていたいか、英語がペラペラになっていたい。
海外経験を生かして仕事がしたい。人のためになる仕事をしたい。やってて楽しい仕事をしたい。自分の頭から仕事=苦痛という概念をなくす。

仕事=楽しいこと=ハマれること

後悔しないように行動します。特にこの3ヶ月は勝負です。もう隣には誰もいません。海外旅行はいつも一緒だったMT君はいません。
声をかけることに躊躇しない。女子大生だろうと、年配の方だろうと、外国の人だろうと、焦点が合わなくてもいいから、自分から積極的につながる努力をします。
与えるものは与えられる。ですよね!